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ロココ、チッペンデールetc.家具の様式ご存じでしょうか? ”ジャンセンファニチャー” 《 那須高原店 》

こんにちは。那須高原店 店長の増田です。春の訪れと共に、花粉が飛散し花粉症の私たちにとっては辛い季節がやってきました。
今日は家具史のお話です。今、弊店のスタッフはお客様にきちんと商品をご説明できるよう、毎日家具史や世界史について勉強しています。
私たちが扱うクラシック家具の源流はギリシャやローマにあると言われ、いきなり家具史だけ詰め込んでもなかなか頭に入ってこないので、終礼時に少しづつ、世界史の動画を見て理解を深めています。

 

ギリシア文化といえば、学問、ギリシャ神話、ギリシャ美術、ギリシャ哲学など現代にも影響を与えるような優れた分野がいくつもあります。なぜ、古代ギリシャ文化は古典と呼ばれ、ルネサンス以来、何度も繰り返しギリシャ・ローマの古典を再生する運動がおこるほどの力があるのでしょうか。皆様「ルネサンス」についてはご存じだと思いますが、再生するという意味で、何を再生するかというと古典です。つまりローマやギリシャの文化をもう一度呼び戻し生まれ変わらせるのが「ルネサンス」です。もう一度ギリシャ、ローマに戻れという運動が18世紀や19世紀にも起こり、長い年月の間に繰り返し行われてきました。

 

例えば哲学では、ソクラテス、プラトンといった哲学者たちが、現代の哲学の素をつくり、歴史学、政治学、経済学、心理学、倫理学、文芸理論などもプラトンやアリストテレスの時代に生み出されたものです。医学においては今でも若い研修医が医者になるときに「ヒッポクラテスの誓い」という誓言を行っているそうですが、ヒッポクラテスは実在する医者であり、医者はかくあるべきだと最初に示した人でです。

 

神話、哲学、美術の分野だけではなく、スポーツのオリンピックについてもギリシャが起源ですよね。聖火リレーは古代ギリシャのたいまつ競争、新しい清純な火をできるだけ早く祭壇まで運ぶことを目的としていました。マラソンはマラトンの戦いで祖国に殉じた兵士たちを供養するために始められました。このような歴史を知っていくと一見わかりにくい家具の様式を学ぶことも楽しさに変わってきます。

今日ご紹介するジャンセンファニチャーは数十世紀時代を進め、特に17世紀から19世紀にヨーロッパで流行したデザインを数多く取り入れています。(これからジャンセンで用いられている家具の様式名がたくさん登場いたします。どのような特徴があるのかも書きますのでぜひお読みください。)

★クイーン・アン様式(18世紀・1702年~1760年)イギリス 王室史のなかでも最初で最後といわれている夫婦で共同統治を行ったオランダ出身の“ウィリアム3世”とチャールズ2世の姪にあたる妻の“メアリー2世”。お二人の間にはお子さんがいなかったため、メアリー2世の妹“アン”が王位を継ぎました。アン女王の統治下におかれた時代の建築物と家具のデザインを「クィーン・アン様式」といいます。1702年、前王ウィリアム3世の死去をうけ、アン女王がイングランドやスコットランド等の王位を継承します。女王は前年にヨーロッパ大陸で始まったスペイン継承戦争にマールバラ伯を派遣して勝利を重ね、北米での戦争も優位に進めました。

 

1707年にはイングランドとスコットランドを合併し、現在の英国の元となるグレートブリテン王国を成立させます。こうした情勢によりアン女王期のイギリスは飛躍的な発展を遂げることとなりました。前世紀後期の名誉革命以来の王政安定もあり、上流以外の階層も発展を始め、快適性や優雅さを備えた中級家具の需要が高まり、その流行を促します。

 

英国の建築物や家具は、欧米の他国と比べてアットホームな居心地のよさがあるのが特徴です。こぢんまりとしたサイズ感で、豪華すぎたり派手すぎたりすることもなく、それでいてほどよく華やかで日本人の暮らしにも馴染みやすいスタイルといえるでしょう。その前に流行した「エリザベス様式」では豪華絢爛なデザインが最優先でしたが、「クイーン・アン様式」は機能性と美しさのバランス感を重視。

 

美しい曲線が描かれていたり、お城のような八角形の塔屋があったりと、古典的で優美なデザインが特徴です。アン女王の在位は短かったのですが、クイーン・アン様式はイギリスだけにとどまらずその後もアメリカではイギリスの基本的なスタイルを踏襲しながらも、華やかさを増しながら発展してきました。また長く人気が続いた理由は時代を代表する「クイーンアンチェア」の優れていたデザイン、機能性にもあります。背もたれの真ん中に花瓶をモチーフにした板が入り、優雅な曲線のフレームの前脚にはカブリオールレッグが使われています。さらに、椅子の座面にクッションが入ったことで座り心地がよくなったことも支持された要因です。18世紀に入り、アン王女が亡くなりジョージ1世が即位してからもしばらくは緩やかな曲線のデザインのクイーン・アン様式が続きます。

 

建築の特徴は完ぺきなまでに左右対称シンメトリーであること。家具は先ほどの椅子でもご紹介しましたが、クラシック家具の代名詞でもある椅子やコンソールテーブルなどの脚に、動物の脚のカタチをデザインした(カブリオール・レッグ)が使われるようになりました。カブリオールとはフランス語のダンス専門用語で、はずむ、飛び跳ねるなどの意味があります。また現在の「ハイバック・チェア」の原形となる、背もたれの左右に袖がついた、大型の安楽椅子「ウィング・チェア」も登場しました。家具の主材はウォルナット材が使われていました。

★ルイ15世様式(18世紀・1715年~1774年)フランス 貴婦人たちに愛された元祖「かわいい」
ロココ様式の中に含まれる様式で、激動の時代背景から様々な呼ばれ方をします。装飾に用いられるモチーフが被ることから、後期バロックの一種とされることもあったり、ルイ15世が成人するまでの1715年から1723年までの過渡期をレジャンス(摂政)様式。またポンパドゥール夫人が発展させた1745年以降はポンパドゥール様式と呼ぶこともあります。「ロココ」とはつる草や貝殻をあしらったロカイユ模様から発した言葉だと言われています。

 

17世紀のフランスはルイ14世とヴェルサイユ宮殿に象徴されるように、政治的にも文化的にも輝かしい時代を迎えています。しかしフランスには独自の美術はまだ生まれていなかったのです。そこでフランスはイタリア美術界をお手本に王立アカデミーを作り、フランス独自の美術を作ろうと努力をしていました。18世紀になると、美術の中心はイタリアからフランスへと移り、ローマではなくパリがヨーロッパ美術の首都になります。バロックが根付かず、古典主義へと移行し独自の道を歩み始めたフランス美術は、1715年絶大な権力を持っていた太陽王ルイ14世が亡くなると、それまでの窮屈な政治、威圧的な壮麗さへの反動で、開放的なものが求められるようになります。そこに誕生したのが「ロココ」という新しい様式でした。ロココ様式では、軽妙で洗練された女性的な曲線を多く使った装飾が好まれました。ここに初めて女性主導の美術様式が誕生するのです。

 

ロココの中心的な人物は、なんと言ってもルイ15世の公妾のポンパドゥール夫人でしょう。ポンパドゥール夫人は熱心な芸術愛好家だったため、この時代多くの芸術家が彼女の庇護を受けました。中でも特にお気に入りだったのが、フランソワ・ブーシェで、生涯に1000点以上の絵画、少なくとも200点の版画、約10000点の素描を制作するという多作な作家というだけでなく、壁画装飾、タピスリーや磁器の下絵制作、舞台デザインの仕事をこなした「万能の人」でした。またジャン・オノレ・フラゴナールは、奔放で明るい官能性に満ちた裸婦や享楽的な絵を描きました。弊店でも陶板画を扱っていましたが、絶頂期に描かれた「ぶらんこ」は庭園に設けられたぶらんこに乗る若い女と、それを低い位置からのぞき見る、愛人の貴族男性を描いたもので、一歩間違えば下品とも思える主題を、幻想的なイメージで描いた傑作です。

 

ロココは絵画のみならず、建築、インテリア、ファッション、家具、工芸など日常的なものへの影響もみられます。ルイ14世の死後、ヴェルサイユ宮殿内には簡素で愛らしいプティ・トリアノンが建てられます。しかし、ポンパドゥール夫人のために建てられたこの小さな宮殿に彼女が足を踏み入れることはありませんでした。建物は新古典様式ですが、内装はロココ様式の最高峰と言われています。

 

のちにこの宮殿はルイ16世からマリー・アントワネットに贈られ、彼女が最も愛した場所だったことはあまりにも有名です。この頃既に王権が弱まっていたため、公共事業も減りました。しかし貴族たちはパリに私邸(オテル)を建てるようになりました。そこに貴族趣味を反映させたインテリアや家具、食器などを置くようになりました。室内装飾は白い壁に金のモールを使い、大きな窓とシャンデリアで室内を明るくしました。家具は女性の好みを生かし、曲線や曲面を多用しカブリオール(猫脚)と呼ばれる曲線の脚を持ったチェストやドレッサーなど多彩で女性的で繊細な装飾が施されたものが作られました。

★ジョージアン様式(18世紀・1714年~1830年)イギリス ジョージ1世からジョージ4世まで続く100年間は総称して「ジョージアン様式」と呼ばれています。ジョージアン様式は「マホガニーの時代」。

 

1720年頃から高級でしかも彫刻しやすいマホガニー材の輸入が始まり、家具などの主材としてウォールナットにとって代わります。1760年から産業革命も始まったことで、英国家具は黄金期を迎え、古典的なデザインの様式が復活していき、ロココ様式から派手な装飾をとって、シンメトリーな直線的なデザインに仕上げた新古典主義(ネオ・クラシックスタイル)が生まれました。

 

この時代に誕生したのが、チッペンデール様式、王や女王ではなく様式名となった初めての人です。トーマス・チッペンデールは(1718年~1779年)イギリスの家具師、デザイナーです。クイーン・アン様式の変形で、フランス・ロココの影響を受け、脚は猫脚が多く、鷹の爪が球をつかんだ形のものが多く使われています。飾り棚や書棚の頭部にスワンネックの飾りが付き、扉の格子組みはゴシックのトレサリーの形を真似たものが付けられたました。中国の影響を受けたものもあり、椅子の背、脚、ベッド類まで中国建築を模した形がとり入れられました。それらの家具をチャイニーズチッペンデールと呼んでいます。

 

チッペンデールは見習い修業後、ヨークシャーから1748年にロンドンに出て独立。1754年ころ家具産業の中心地に移り、工場倉庫を建設。多数の専門職人による本格的な家具製作と、上流階級の室内設備や装飾の施工も行いました。同年に家具の専門書として最初の「紳士と家具師のための指針」を出版。一躍この時代の最も有名なデザイナーになりました。この本には人気の高い家具の寸法図が含まれ、顧客はこの本から選び、他の家具師が複製したといわれています。1770年代からは新古典主義の建築家ロバート・アダム が設計したリーズ近郊のハーウッド・ハウス  やロンドン郊外のオスタレー・パーク などに、マホガニーを用いた新古典様式による精巧な家具を製作しました。
チッペンデールのほかにも、デザイナーが活躍しました。

ギリシャやバロックの古典様式を取り入れながら独自のスタイルを生み出した先ほどのハーウッド・ハウスを設計したロバート・アダム(1728年~1792年)。スコットランド出身で貴族の住宅を多く建設し、4人兄弟ともに建築家です。
このロバートアダムの作風から強い影響を受け、富裕層向けのデザインをより実用的にしたジョージ・ヘップルホワイト(1727年~1786年)。アダムのデザインに工夫を加え、より実用性に富み、かつ大量生産可能な小型家具を次々と考案。美しく安価なヘップルホワイトの家具は労働者階級を中心に大流行しました。ハート型や盾形の背もたれをもつ椅子が代表作で、円形の浮彫、花と貝殻模様、果実模様などのデザインが特徴です。

 

アダム、チッペンデール、ヘップルホワイトに後継する家具デザイナー、トーマス・シェラトン(1751年~1806年)。家具職人として修業したこともあるようですが、工房は持たず、デザイナーに徹し、数多くのデザインを残しました。ハイクオリティーな家具は、アダムやヘップルホワイトのデザインをうまく調和させ、椅子の背もたれはパーラー形、シールド形、スクエアー形、脚はサーベル・レッグ、カーブド・レッグ、テーパード・レッグなどが特徴です。

 

この時代イギリスはフランスとの7年戦争に勝利し、経済的にも飛躍した時代。そのため多くのパトロンに支えられたデザイナーや建築家が活躍し、イギリスの家具業界は絶頂期を迎え素晴らしい芸術ともいえる家具が生み出されました。

家具の歴史、いかがでしたか。様式やデザインなど知れば知るほど家具見ながら、なるほどの世界が広がります。
エキゾチックな木目に施される象嵌やモザイク、巧みに作られたソファやチェア、手彫りの装飾品、手描きのシノワズリとアンティークのミラー等芸術の「ジャンセン」見にぜひ、メゾンドマルシェ那須高原店へお越しください。

 

本日も最後までお読みくださりありがとうございました。
皆様沢山の文字をご覧になり、目もお疲れになったことと思います。私も花粉症も重なり、目がしょぼしょぼしています。
お互いに肩や肩甲骨を動かし、血流を良くし、疲れをとってまいりましょう。

 

 

メゾン・ド・マルシェ那須高原店の店舗情報はこちら ⇒ 《 店舗情報 》

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